法灯を継ぐ ー真教上人の生涯とその教えー ⑥

正安3年(1301)10月、伊勢大神宮へ参詣する。外官にて、真教上人の手より金色の光を放つ。続いて内官に参詣する。(『遊行上人縁起絵』第九巻 遊行寺蔵)

伊勢神宮を拝す


正安3年(1301)十月頃、真教上人は時衆とともに北陸の地から伊勢国(現在、三重県)へとお入りになられました。この伊勢国には、天照大神あまてらすおおかみを祀る「伊勢神宮」があり、永らく神々しき景色を保ち信仰の対象となっていました。そこへ真教上人は参拝なされたのです。まず、参拝にあたり、その年の11月には、櫛田(現在、三重県松坂市櫛田)の「赤御堂あかみどう」に逗留されました。その後、真教上人は伊勢神宮の外宮へと向かわれました。その伊勢神宮の神々しい神域には、もろもろの穢れを持ち込むことがはばかられるため、ひとたびは参拝を躊躇されましたが、その一行は制止されるまで進むことを決意したのです。しかし、不思議と外宮では制止されることもなく、鳥居をくぐることができました。

この神域での念仏勧進は前例がなく、神職にある人々は誰一人として賦算を受けることがありませんでした。ちょうどその頃、政所大夫雅見まんどころだゆうまさみという人が参拝し帰ろうとしていた時、真教上人が念仏をすすめているところに遭遇し、その手から金色の光が上下約48センチ、左右54センチほどの大きさに見え、さらに五色の飾りが珠のように連なって動いているのが見えたのです。その不思議な光景を目の当りにした政所大夫雅見は、真教上人の前に臥して合掌し、十念を受けたのでした。このことが契機となり、真教上人から念仏を受ける人々が次々と現れました。

また、禰宜ねぎ定行は夢の中で阿弥陀如来が多くの聖衆を引き連れ、その後には黒衣の僧侶が数人混じっており、外宮の鳥居を通るのを見て驚き、「誰が参拝されましたか」と問うと、それは真教上人であったので、帰依されました。その日、上人は、法楽舎ほうらくしゃに泊まられました。

さて、翌日、真教上人は内宮に参拝されました。二の鳥居で十念を称え下向しようとしたのですが、内宮一の禰宜から結縁のために日中礼讃の法要を所望されました。そのように内宮の神域で法要を行うことは例がなく多くの参詣者は、みな涙を流して信仰したのでした。

その後、真教上人は越前国敦賀(現在、福井県敦賀市)に、そして、近江国(現、滋賀県)へと遊行され、小野大明神が結縁するなど神仏の加護も加わりました。旅を続けるにつれてますます念仏勧進に励まれ、人々の帰依も盛んになりました。

さて、その後の時宗教団と伊勢神宮との関わりは、時宗十二派の霊山派りょうぜんは・国阿派の祖とされる国阿上人の念仏勧進と結びついています。詳しくは『国阿上人伝』(『定本時宗宗典』下巻所収)をご覧下さい。