歌僧としての真教上人
真教上人は、時宗教団の確立者という一面のほかに、和歌の道に通じた歌僧としての一面もありました。真教上人は、一代で秀歌一千四百五十首に及んでいます。その歌の内容は、釈教・述懐を中心とし、花鳥風月に至るまで多彩な題材が詠まれています。真教上人の歌集は、『大鏡集』あるいは『他阿上人歌集』と呼ばれていた様ですが、その後、編集され『他阿上人法語』第8巻に全体の2割にすぎぬ、わずか二七一首が収録されています。
あすよりは たれにとはまし のりのみち
ゆふしてかけて やらじとぞおもふ
〔明日よりは、仏法の道を誰に問えばよいのだろうか。(神殿のしめ縄に)木綿四手を下げて神殿に決意を託し、その決意を決して破られないぞと思う。〕
『縁起絵』第5
をぐるまの わづかに人と めぐりきて
こゝろをやれば 三(つ)のふるみち
(牛車が僅かな数の供回りを連れてあちこちと行くように私も時衆を連れてあちこち遊行してきました。牛車の車輪が回るように心もまた煩悩によって三界を流転してきましたが、そんな心を離れてみると流浪してきた三界がまるで古い道に見えるようでした。)
いくせにも ながれてきゆる 山かはの
あはれはかなき おいのなみかな
(山河の流れは幾瀬にも来ては消えますが、それはまるで人生の色々な場面が思い浮かんでは消える様に似ていて、ああ儚い老いの姿の様です。)
『縁起絵』第7
めぐりあふ おなじ日数は 秋ながら
又みぬ月の くもがくれ哉
(故一遍上人とめぐりあって共にすごした日数と同じ日数がすでに経過したが、お別れした秋の日のままのようで、雲隠れした月を再び見ることができないように、故一遍上人にもお会いできないものだなぁ。)
『縁起絵』第十
これらはみな、真教上人の詠まれた和歌の一部です。
また、真教上人は、当時一流の歌人である京極為兼、冷泉為相、冷泉為守らと和歌を通じて親交もあったようです。延慶3年(1310)、京極為兼が関東下向の折、真教上人と対面し、合点を付けた和歌が三十三首あったと記されています。このことは、真教上人の和歌のすばらしさを物語っています。正和元年(1312)勅撰の『玉葉和歌集』には、他阿真教の和歌が一首「読人しらず」として所収されています。また、藤原長清の撰による『夫木和歌抄』には、一遍上人、真教上人の和歌三十首ほどが所収されています。
このことから真教上人は、和歌を通じて様々な人々と親交を育み、そして、その先には信仰上の強い関係性がうかがえます。