阿弥陀仏と称するに 六字のうちに往生す
真教上人は、一遍上人同様にまとまった著作は現存していません。ただし、その教えは『他阿上人法語』全8巻から知ることができます。この『他阿上人法語』は、真教上人の消息法語や和歌(『大鏡集』と呼ばれていた)を集録編纂したものです。遊行53代他阿尊如上人(1711~1779)の時に岩本成願寺(現在、福井県越前市岩本町)住職其阿玄道(総本山衆領軒在職中に入寂)が印板施財主となり、敦賀西方寺(現在、福井県敦賀市)住職長順が諸本を校合した上で、安永7年(1778)1月に刊行されたものです。
この『他阿上人法語』に所収されている消息法語とは、地方に建立した道場の坊主(現在の住職)や信者からの質問に答えたものです。そのなかからは、真教上人がどの様に教えを説いていたのかがよくわかります。
さて、一遍上人も真教上人をはじめとして歴代の遊行上人は、分かり易くお念仏の教えを説くために『和讃』を作られています。そもそも『和讃』とは、和語讃歎の略で平易な言葉で仏やその教えを讃える仏教歌謡の主流をなすものです。仏・菩薩の功徳・教法・祖師高僧などの業績やその教えを詩的に表現しています。基本は、七五調で四句を一章とする形式が取られています。また、真教上人には『往生浄土和讃』があり、今では『往生讃』の名称で知られています。
この『往生讃』では、一遍上人の『別願和讃』同様に冒頭部分で
吾等がこのみのはかなさを おもいとくこそうかりけれ
かれゆくくさにおくつゆの あだなるよりもたのみなし
いのちをものにたぐふれば あきのすえのによはるなる
むしのうらあみのこえまで よそのうれいとおもはれず
とあり、この世の無常を説いています。そして、輪廻転生を繰り返す凡夫である私たちの悲しみを述べ、救われる教えについて説いています。真教上人は一遍上人の説くお念仏の教えを継承していますが、一遍上人が南無阿弥陀仏の名号を強調しているのに対して、真教上人は阿弥陀仏の本願や信心を強調した上での称名念仏を説いています。その部分には、
他力に帰せざる故にこそ 往生の期もなかりけれ
有心は平生なりければ 称念のうちに臨終あり
しかれば臨終平生は ふたつなしとぞ知られける
南無ととなふる一聲は 歸命の一念なりければ
阿弥陀仏と称するに 六字のうちに往生す
(他力に帰依しないでいるため 往生する時も無いのです。心の働きは平生のものであるから 称念のうちに臨終があり、臨終と平生は一つであると知っているのです。「南無」と称える一声は 帰命の一念であるから「阿弥陀仏」と称えると 六字のうちに往生するのです)
とあります。ここから真教上人のお念仏に対する考えがうかがえます。一遍上人は「南無阿弥陀仏」に臨終と平生との別がなく、ただ今の称名念仏を臨終と考えています。その教えを真教上人は継承しています。つまり、一遍上人の教えを真教上人が受け継ぎ、その教えが綿々と現在まで受け継がれていることがわかります。
「絹本著色真教上人像」清浄光寺蔵