法灯を継ぐ ー真教上人の生涯とその教えー ⑧

嘉元元年(1303)歳末、相模国当麻で、歳末の別時念仏会を修す。群衆、雨のごとく参詣する。『遊行上人縁起絵』第九巻 遊行寺蔵)

当麻道場たいまどうじょう別時念仏をべつじねんぶつ修す


嘉元元年(1303)12月、真教上人は、関東拠点として一遍上人ゆかりの地とされる当麻道場(現在、神奈川県相模原市南区当麻 無量光寺)で歳末別時念仏会を勤めました。この別時念仏会は、一遍上人の代から重要な法要として時衆で勤められ、特に歳末に行われる法要を重要視していました。それは、期間を限定し念仏に集中し年末に罪業ざいごう懺悔さんげ、その上で新年を迎えようとするものです。

真教上人が当麻道場でつとめた別時念仏会の参詣者については、「いつもの事なれば、貴賎雨のごとく参詣し、同俗雲のごとく群集す」と『縁起絵』第十に記しています。いかに真教上人の教化が行き渡っていたかを物語っています。

そして、真教上人は、嘉元2年(1304)1月、遊行の法灯を量阿智得上人に譲り、自身は当麻道場に独住されました。このとき、「全国を遊行し念仏の教えを弘める時衆」と「根本となる道場に独住する時衆」という二大体制が整ったのです。また、真教上人は、三代目となる量阿智得上人に対し、

 

  然れども知識のくらゐになりては、衆生の呼ところの名なれば、

  自今已後は量阿弥陀仏を捨て他阿弥陀仏と号せらるべし。

  この名は一代のみならず、代々みな遊行かたにうけつぐべきなり。

 

と『七条文書しちじょうもんじょ』にはあります。これは、自らの後継として指名した量阿智得上人に他阿弥陀仏を継承すること、さらには代々の遊行上人にこの他阿弥陀仏を継承することまで定められました。このことから真教上人以後、代々の遊行上人は他阿弥陀仏を継承することとなり、現在、七十四代まで継続されています。

文保3年(1319)1月27日、一遍上人の教えを深く弘めその地に根ざさせるために道場を建立し、教化活動を行い時宗教団の礎を築いた真教上人は、当麻道場でその83年のご生涯を静かに閉じたのでした。

さて、現在、毎年2月27日に総本山清浄光寺では、朝時の法要で二祖忌として法要を行い、老僧や修行僧が遊行上人の名代として代参することが慣例になっています。しかしながら昨年、2月27日には、遊行74代他阿真円上人おんみずからを導師として真教上人七百回忌法要が行われました。さらに、本年3月27日には、二祖上人七百年御遠忌記念の一環として、無量光寺で有縁の地法要が行われます。

また、真教上人が入寂される前年、文保2年(1318)にはその姿を彫られており、頭部の内側に年号と南無阿弥陀仏の名号を記しています。現在、神奈川県小田原市国府津蓮台寺に所蔵されている坐像がそれです。指先や手の甲の皺など生前の姿を忠実に表現しているとともに、病気のためか右頬がやや下がるものの、その柔和な表情から真教上人の人柄が偲ばれます。